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[1] クライオニクス論の紹介(抜粋)

脱・DNAプロジェクトは、実用的クライオニクスを実現する先端科学技術の開発と、クライオニクスを合理的に受容できる社会の構築を目指した新しい人間の生き方を提唱しています。そのホワイトペーパーは、「クライオニクス論」―科学的に死を解決する方法―に示されていますので、是非一度お目通し下さい。




クライオニクス論の序章より


宗教の権威が総じて失墜していくなか、私たちが感じる不安の根源である死の問題に対して、現代の科学技術は何ができるのか

メメント・モリ。ラテン語で「死を想え」と訳されますが、人間は元来「死すべきものである」という意味に転じて解されることが普通です。そして、私たちは太古の昔からこの文言を繰り返し聞かされ続けてきました。しかも、それらは常に時代の賢者と呼ばれるような代表的知識人からまことしやかに語られます。もし、それに反することを少しでも考えようものなら、世の中の道理をわきまえない未熟者で、なおかつ、大それた不道徳な考え方だと、ひどく窘められるのです。この無言の頸木が私たちの身にいつか起こる死を神聖化し、これに対する異論をこれまでほぼ完全に封じ込めてきたように思われます。
しかし、この忠告を素直に受け入れるためには、ある暗黙の了解が伴っていました。即ち、「あの世」が存在するという前提です。多くの宗教の立場はどのような形であれ、私たちの不滅の魂が、現世とは全く異なった別の世界へと繋がっており、永遠の時間が流れる「あの世」の世界を想定しているからです。さて、今日のよう 美学に科学技術が大きな進歩を遂げ、生活環境の変化が著しい現代においても、賢者の 美学は本当にまだ有効なのでしょうか。もっと具体的にいうなら、これまで信仰の前提としてあった「神」や「あの世」は本当に存在するのか、ということです。中 世の時代ですら、神学という分野で厳しく追及されてきた問題(神の存在証明など)です。現代という時代でも成り立つかどうか、いま一度検証してみる必要があるように思われます。



クライオニクス論の本文第3章より

私たちの魂を保存する現代の科学技術

De・DNA(DNAの支配から逃れた脱DNA)としての人間は、本来封じられていた個体としての存在意味を求めるようになりました。De・DNA(DNAの支配から逃れた脱DNA)にとって、生きるために必要な情報はDNAの遺伝情報だけではなかったのです。個体の存在を規定しているものは、脳の中に形成されたユニークな世界像であり、記憶という形で保存された経験情報の束です。ここでいう経験情報とは、生体構造と一体化したものであって、その実体は脳の中の神経ネットワークによって保持された有機的な生体構造のことです。人間の魂は、後天的に形成された複雑な神経ネットワーク構造に収められており、個体ごとに固有のものである以上、他の個体では決して再現することはできないのです。
私たちはこれまでほとんど何の躊躇もなく、死んだ後の身体を火葬や土葬などによって無分別に破壊してきましたが、それは取り返しのつかない重大な誤りであるかも知れないことに気がつく必要があります。私たちは、個の存在についてもっと慎重に扱うべきであり、その終わり方について、もっと真剣に考えなければならないのです。何よりもまず、脳の中にある神経ネットワーク構造を破壊すれば、私たちの経験情報は永遠に失われ、魂の永続性は現実として閉ざされてしまうことを問題視すべきでしょう。未来の人類が人間の歴史を見返したとき、彼らの目には、生体構造を無分別に破壊する火葬や土葬のような行為が極めて稚拙な行為であり、個体の存在を踏みにじる野蛮な風習のように映るかも知れません。
私たちはDe・DNAとしてユニークな存在であり、「個として生きる」ことを目指すのであれば、個体の尊厳を守る手だてを早急に打つ必要があります。それを端的に表現するならば、クライオニクスによって神経ネットワーク構造を保存したまま埋葬するということです。個体の尊厳を本気で守るのであれば、死後の遺体を無碍に破壊するのではなく、価値あるものを保存しようとするのが本来のあり方のはずです。つまり、クライオニクス論とは人間が死んだ後に行われる埋葬方法を根本的に見直すことを提唱するものです。クライオニクスの実用化に際しては、迅速に行わなければならない精度の高い前処理を考えると、現在の葬儀場のように、クライオニクス処理が確実に遂行できる環境を整えていく必要があります。このような新しい埋葬文化は、個体が不死となる世界を作り出すものではありませんが、個体の死に対する考え方を根本的に変革していくことになるでしょう。



クライオニクス論のあとがきより

死について真剣な議論を避けたり、結論を何も描き出すことのできない現代思想はふざけているとしか思えない

現代は人類史上、間違いなく歴史的な精神的危機の時代に直面しています。その綻びはあらゆるところに前兆が現れています。そして、これほどまでに生の哲学が必要とされる時代はありません。この状況において、死について真剣な議論を避けたり、結論を何も描き出すことのできない現代思想はふざけているとしか思えません。私たちはいま暗闇の中を彷徨し、生命の光を見出せないまま生かされているDNAのマリオネットに過ぎないのです。これからの人類は、私たち自身の行動を決定している経験情報に依って、主体的に生きるべきであり、個体存在の尊厳が何よりも重視されなくてはならないでしょう。
クライオニクスは決して不死を目指す似非科学ではありません。死後の新たな埋葬法の在り方を提唱することで、未来に復活を託すことができる極めて現実的な科学技術です。もしクライオニクスを狂信的カルトと見なす風潮を許すのであれば、そもそも信仰によって魂の永続性を保証する宗教の存在意味なども全く考えられないことになります。私たちがこれまで生きてこられたのは、魂が不滅であると信じられたからだ、ということを決して忘れるべきではありません。この宗教が果たしてきた役割を、科学が本気で引き継ぐのであれば、魂の保存や復活といった言葉が一定の現実性を持った言葉で語られるとしても、これは至極当然な話なのです。
 



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