「De・DNA(脱・DNA)の契機について」


 B-01
[投稿者 アノニマス(一般読者)様]

クライオニクス論パートUのU-20に次のような記述がありますが、日常の生活経験に依って生きることが、なぜ脱・DNAに結び付くのでしょうか。
本文U-20より引用
「個人ごとにユニークな世界像が脳の中に形成されていくのであれば、人間の魂とは、脳の中に記憶として固定された経験情報にほかならないということになります。」....(中略)....「私たちはこの世界に生まれたあとは、もはやDNAだけに依存しているわけではなく、後天的に形成された日常生活を通じた経験情報の束に依存して生きているということになります。このような脳の働きは(、)まさにDNAの支配から脱する契機を含んだものであることから、本書では、特にDe・DNA(脱・DNA)と呼ぶことにします。」
[投稿者 清永怜信]

当サイトを開設するまでに届いた一般読者様からの投稿です。議論の輪を広げるためスレッド化しましたが、以下の回答はあくまで清永の現時点における私見であり、議論のための参考にして頂ければ幸いです。皆様からの御意見をお待ち致します。

DNAによって支配された世界において、個体が根拠を欠いた存在であると植えつけられることは、私たち人間にとっては全く不条理に尽きます。こうした状況にあって、私たちはいかにして個体としての尊厳を保ち、存在価値を保つことができるのでしょうか。現象学的な独自の視点から日常の生活を意味づけていくことが、私たちの人格や精神活動である魂にほかならないとするなら、個体の存在意味は、まさしく脳の中に固定されているユニークな経験情報に由来することになります(U-17、U-20参照)。つまり、個体の存在にとっては、どのように生き抜いてきたのかという生活経験こそが大切になってくるはずです。個として生きることは、DNAによって支配された無機的な世界を、生という視点から意味づけられた有機的な世界像として創造する能力を常に保つということです。このような個体が有する創造性は、DNAには全くコードされていません。つまり、個体の存在価値を深く追求していくことが、これまでのパラダイムであるDNAによる支配から脱する試みへと必然的に繋がっていくと考えます。




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