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   現代は驚くほど科学技術の発達した高度な文明社会です。しかも、私たちは科学技術による利便性を享受し、ほぼ完全に依存しながら毎日を生活しています。また、科学技術は私たちの日常生活の在り方を変えていくだけでなく、私たちの思考をより論理的で、実証性を伴ったものへと変革してきました。これまでの人間の叡智では、到底不可解とされてきた多くの神秘的な現象を、科学の法則によって説明できるものとして引きずり下ろしたのです。言い換えれば、神のみぞ知ると思われてきた多くの事柄が、ごく普通の人間でも容易に理解できるようにしたというわけです。   

   さらに、科学の目は神そのものに対しても向けられました。宗教が謳う神や、あの世は本当に存在するのかという疑問です。こうした疑問は、いわば人類史と共にあった宗教文化そのものに対する疑問であり、ある意味、既存のパラダイムに対する挑戦でもあります。よく考えてみれば、科学の発達した現代において、信仰の対象が数千年も昔に唱えられた古めかしい宗教の教義書に基づいているというのは、どこか変な気もします。人が死ぬと、三途の川を渡り黄泉の国で生きるとか、最後の審判を受けて天国か地獄へ行くとか、どのような言い訳をしようとも、それが現実に証明できないものであるのなら、現代人はそれらを信じる根拠を失いかねません。

   神もまた人間の創造物にほかならず、天国にしても地獄にしても、あの世の世界は単なる幻想に過ぎないのではないのか、という疑念がにわかに広がってきたのです。宇宙の謎を解き明かした車いすの天才物理学者ホーキングは、『ホーキング、宇宙と人間を語る』の中で、「宇宙は神が創造したものではなく、重力の存在によって無から自発的に生成することができる」と、神の存在を抜きにしてこの世界は説明できると看破していますし、現代生物学者のドーキンスは『神は妄想である』という大部な書をわざわざ著し、「神が存在するという宗教上の根拠はもはや持ちこたえられない。神はほぼまちがいなく存在しない」と丁寧に論駁しています。

  ただし、脱・DNAプロジェクトが主張しようとすることは、いにしえの時代から続いてきた宗教そのものを否定することでは決してありません。むしろ苦悩に満ちた現代を生きていくには悩める人間の魂を鎮める必要があり、宗教文化はより重要になりつつあるのではないかと考えています。宗教は科学技術の発達とは全く無関係であって、不安と絶望に満ちた私たちの魂を救済しようとする役割は、むしろ以前より増して必要に迫られているだろうからです。





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