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  ところで、真理や本質を探る学問であり、諸学の基礎づけを行うとされる哲学の対象には、この世界をどのように捉えるのか、という昔からの大問題もありますが、もうひとつの大きな未解決問題があります。それは、私たちはどのように生きればよいか、という問題、さらには、私たちはいったい何のために生きているのか、という昔から人々を悩ましてきた難問です。この問題は死と裏表の関係にあり、人類が常に追い求め続けてきた普遍的なテーマだ、と言っても過言ではありません。よく言われるように、人間はただ生きるために存在するとか、生きること自体に目的はない、という答えに私たちはなかなか納得できないことがあるからです。

  多くの哲学者がこの問題と取り組んできましたが、正解というべきものは誰にも分からず、また、そのような正解があるとも思えず、結局のところは分からないままです。曰く、「人生は自分が作り出していくものである」、曰く、「生きる目的の本当の答えは自分自身の中にある」、などなど。その通りだと納得しつつも、何だか、狐につままれたような回答です。確かに、限られた人生を不安と共に憂鬱に暮らすことも、あるいは、生き生きと歓喜と共に暮らすこともあなたの生きる気持ち次第です、と言われればその通りです。このような考え方も、多くの人間にとって比較的馴染みやすい、いわばコンセンサスと呼べるものなのでしょう。

  ハンセン病患者に対する心のケアを行ったことで知られる精神科医の神谷美恵子は、その著書『生きがいについて』を、次のような印象的な一節から始めています。「平穏無事なくらしに恵まれている者にとっては、思い浮かべることさえ難しいかも知れないが、世の中には、毎朝目が覚めると、その目覚めるということがおそろしくてたまらない人があちこちにいる。ああ今日もまた一日を生きて行かなければならないのだ、という考えに打ちのめされ、起き出す力も出てこない人達である。耐えがたい苦しみや悲しみ、身の切られるような孤独とさびしさ、はてしない虚無と倦怠、そうしたもののなかで、どうして生きていかなければならないのだろうか、なんのために、と彼らはいくたびも自問せずにいられない。」

  私たちは普段ここまで自らの生と張り詰めた気持ちになれないというか、日常雑多の用事に紛れてしまい、人生の意味を深く考える余裕がありません。しかし、耳を研ぎ澄ましてよく聞けば、ここに記されていることは、私たちすべてに当てはまる人間存在そのものではないでしょうか。この文章には、私たちが人間の生き方を考える上で真実の心の叫びが刻まれているようにも思います。もちろん、人生は辛いことだけではなく、嬉しいこと、楽しいことなどたくさんあります。生きていてよかった、人生捨てたものではない、などとよく口にします。しかし、ここで本当に問題にしたいことは、それらをすべて含めた上で、なお、私たちの人生は全く不条理であり、到底受け入れがたいものではなかろうかという点です。





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