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  私たちの身の上にはいつの日か死が確実に訪れ、人生を清算しなければならない時がやってきます。その一方で、この世に生まれたすべての生き物は、命のある限り必死に生きようとします。これもまた、私たちの生まれ持った偽りのない性分です。特に、人間のように巨大な脳を持ち、さまざまな思考を張り巡らせる生き物にとって、自らの死をいかに捉えるかということは、生きていく上において最も大きな関心事でしょう。人間は、自らの死についてあらかじめ思索することができる希有な動物なのです。

  アップル・コンピューターを創業したアメリカの実業家ジョブズは、晩年長く癌を患っていましたが、「もし今日という日が人生最後の日だとしたら、これからやろうとすることは本当にやりたいことだろうか」と毎朝自問自答していたそうです。また、自分の死を意識することによって、周囲からの期待、プライド、羞恥や失敗への恐れといったものが意味を無くし、本当に自分にとって大切なものだけを残してくれたといいます。人間の一つの生き方として、自分の死をポジティブに捉える姿勢は感動すら与えますが、ジョブズはまた、「誰も死にたい人なんていない。天国に行きたいと願う人ですら、まさかそこに行くために死にたいとは思わない」とも吐白しています。紆余曲折があったとは言え、巨大企業アップル社を育て上げ、事業として十分な成功を収めていたジョブズ自身も、まだまだやり遂げたかったことが多かったに違いありません。

  さて、ここで改めて問いかけたいのですが、私たち一人一人は、さまざまな生物種を構成している個体です。私たちのような個体にとって、死はいったいどのような意味を持っているのでしょうか。そして、私たちは死をどう解釈し、どのように克服していけばよいのでしょうか。もちろん、人間はふだんから「いかに生きるか」などという高尚な思索が十分できるほど、時間を持て余しているわけではありません。現代社会は非常に多忙であり、毎日を無事に生き延びるだけでも精神的に十分摩耗するほど大変です。その結果、死の問題は、イデオロギーを超えたあらゆる人間に共通した対象にも関わらず、そのスタンスは人によってバラバラで、結局よく分からないまま放置されてきた哲学上の難問になっているように思われます。

  もちろん、古代から世界中いたるところで語り継がれてきた宗教の教義書によれば、私たちは現世において身体が滅びても、魂はあの世に生きて永遠であり、死など恐れるに足りないものだと諭しています。永遠の魂を信じることで自らの死を受け入れ、神の大いなる意志を信じ、むしろ感謝しながら生きることが人の道である、というのが古今の宗教指導者より、私たちが聞かされてきた一つのコンセンサスのようです。しかし、現代のように科学技術が進歩してくると、古き良き時代を生きた先人と同じように、ただ信じることで救われるという教えが、万人にとって必ずしも受け入れ易いものとは限りません。現代人にとっては、むしろ死の解釈でも、ある程度納得して受け入れたいと考える人も多いのではないでしょうか。もう少しはっきりと言うなら、私たちの魂の永続性を、おとぎ話(フェアリー・テール)ではなく、現実的方法(リアル・ストーリー)によって、裏づけることはできるのか、ということです。





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