「脳の神経ネットワークの保存について」


 
[投稿者 karat様]

以下のサイトによると「生物の情報処理や記憶は分子の相互作用」の可能性が考えられて いるそうです。

http://skeptics.hatenadiary.jp/entry/2017/08/10/203856

仮にこの主張が正しかったとしたら、神経ネットワークの保存だけでは不十分ではない でしょうか?
 
[投稿者 清永怜信]

Karatさん、こんにちは。大変興味深い問題提起を頂きありがとうございます。他のパートとも関連する話題であり、パートIIIでスレッド化するかどうか少し悩みましたが、スレッドⅩとして広くご意見を募ることに致しました。読まれた方はどうぞ忌憚のないご意見をお寄せ下さい。

ご質問は、生物の情報処理や記憶は分子の相互作用であるため、脳を保存するとしても、神経ネットワークを保存するだけでは不十分ではないか、というもので、「生物の情報処理の原理は分子の相互作用である」という引用サイトの主張に基づいておられます。
清永もその引用サイトを読ませて頂きましたが、情報処理や記憶が分子レベルの挙動だとすれば、脳を再現するハードウエアを定位するだけでも莫大な計算量を要し、現代の科学技術では脳のリコンストラクションは困難であろうという旨が観て取れるようです。やや哲学的な内容を含んだ提起だと思いますが、結論を先に申し上げれば、クライオニクスが目指している脳の保存に、分子や量子レベルのミクロな挙動を計算したり、ましてや、その状態を把握しなければならないという必要性はないと考えます。実際、ハイゼンベルクの不確定性原理が支配するものの状態をありのままに保存することは原理的に不可能でしょう。

その理由は、実はシンプルに回答できると思います。生命体はあくまで細胞を単位とした有機的な組織化の産物だからです。ここでいう単位とは、構造の最小単位でもあり、機能の最小単位でもあります。もちろん、サブセルラーな構造は幾つもありますし、細胞より小さな機能要素は枚挙にいとまありません。しかし重要なことは、生命活動は外界の環境変化に対して、何らかの適応反応ができるという完結したシステムにあります。つまり、外界の変化を感受するレセプターと、これらの情報処理を行った後に、反応を体現するエフェクターが備わっているということです。細菌などの単細胞生物や、脳を構成するニューロンは、この条件に適合していますし、多細胞生物の生命活動は、さらにより高次な階層情報のシステムとして成り立っているわけです。

それでは、細胞で働いている分子の役割とは何でしょうか。分子は構造や機能の単位である細胞の働きを仲介する役割を担っています。指令するところから情報を受けとり、また下流へ情報を伝えるものに過ぎません。例えば、サイトの中にも書かれていたシグナル分子としてのcAMPが好例です。従って、分子自体に外界の環境変化に応じた適応反応が備わっているのではなく、あくまで生命活動のメディエイターとしての役割しかありません。このように書くと、酵素分子のアロステリック効果などは、当該分子による情報処理の結果ではないか、とサイトの中では反論しているようですが、これらは分子間の物理化学的な反応に過ぎません。アロステリック酵素の動きは限定的なもので、そもそもアロステリック因子が存在しなければ動けないわけです。電離放射線等によるDNA分子に起因する突然変異もこのような理解であるべきで、だからこそ中立的な分子進化が起こったのだと思われます。

議論をまとめますと、人間の生命活動は、細胞―組織ー器官ー個体といった構造と機能の階層性によって維持されており、脳は外界情報を高次に集約して情報処理を行い、実にフレキシブルな行動の選択肢を示すことが可能です。そして、その行動は必ずしもプログラムされたものではなく、個体の経験値によって導き出す答えが異なり、このような記憶の蓄積により長い時間を経て個体ごとに特有の差異や性質、即ち個性が生じます。つまり、脳は分子の振る舞いを織り込んだ上で、分子よりもはるかに上位の情報を個体レベルで統合する器官なのです。従って、脳は人間の存在に関する意味づけを行っている座位だと言えます(このあたりの詳細については、クライオニクス論パートIIを是非お読みください)。以上より、人間のクライオニクスを目指すのであれば、そのターゲットは脳の保存、就中、脳内の神経ネットワーク構造の保存で十分なのです。

最後に余談ですが、脳内で起こる情報処理はニューロンのシナプス構造の中にこそ内包されています。従って、神経ネットワーク構造の保存は、神経連絡網だけを電子回路に移植するかのように保存するのでなく、各ニューロン間のシナプス状態も含めて出来る限りインタクトに近い形で保存する必要があります。最近流行りだした(?)コネクトームプリントで十分であるとか、ましてやマインドアップロードで完了するという考え方は、生命活動が本来何であるか、自分をコピーしてしまった際の自我はどこにあるかなど、有機的なより本質的な問題が抜け落ちてしまっているように思えてなりません。

 




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